伊能忠敬没後200年を記念する行事として、広島大学総合博物館等と協力して、3つの行事を行った。同博物館の企画展示として、8月21日から9月29日まで「地図をつくる 地図からわかる」展を開催した。この期間中の9月15日に広島市内で講演会を開催し、翌16日には伊能忠敬とゆかりのある福山市神辺などを訪れる見学会を実施した。これら一連の行事では,伊能の業績を振り返るとともに、これからの地図の利用可能性について展望し、それを青少年に伝えていきたいという思いをもっており、テーマを「地図をつくる 地図からわかる」と設定した。ここでは、講演会と企画展について報告する。
1.講演会「地図をつくる 地図からわかる」
日 時: | 2018年9月15日(土)13:00~17:00 | ||||||
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場 所: | 5-Daysこども文化科学館アポロホール | ||||||
主催・共催: | 東京地学協会・広島大学総合博物館・広島市こども文化科学館 | ||||||
後 援: | 地理科学学会,日本測量協会,第六管区海上保安本部,国土地理院中国地方測量部,中国新聞社 | ||||||
参加者数: | 103名 | ||||||
講演内容: |
第一部:伊能忠敬の業績と広島との関わり及びその現代的意味を知る 八島邦夫(元海上保安庁海洋情報部長) 英国海図と伊能図:瀬戸内海をめぐって
英国が日本に接近した当時は、中国でのアヘン戦争が終わり、日本にも黒船など欧米列強が押し寄せ、国内は尊王攘夷運動など激動の時代であった。そのような折に,英国は瀬戸内海航路などの運航のために海図を必要とし、日英修好通商条約(1858年)の締結を受け、1860年に幕府に日本沿岸の測量許可を申し出た。幕府は激論の後、英国人と測量で上陸した土地の日本人との衝突を恐れるなどして、幕府役人の同乗を条件に測量を認めた。同乗した役人が持参した伊能図を見た英国海軍は、その正確性を高く評価し、幕府に提供を申し出た。幕府は1861年に当時、門外不出の図書であった伊能図(小図)を提供し、英国海軍は瀬戸内海沿岸に上陸して測量を行うことをやめ、伊能図を英国海図作製に活用することになった。英国は1862年以降、海図No.2875「瀬戸内海」、No.2347「日本」、を始め日本沿岸の海図8図を作製・刊行し、海図を通じて日本の正しい形・位置を世界中に伝えた。この時提供された伊能図は英国小図と呼ばれ、長い間、英国水路部の所蔵であったが、近年、英国国立公文書館に移管された。
伊能図を利用して作製された英国海図の全体的な特色は、①海岸線は伊能図からの転記、②地名はアルファベット化した和名と英語の混合表記(島は、sima、山はsan、湖はlakeなど)で、しばしば固有名詞の読みに誤りがあり(大山(だいせん)をOo yama、因島(いんのしま)をIn sima、生口島(いくちしま)をNamakutsi など)、③経線が修正されている(北海道ほか)ことである。 海図「瀬戸内海」に関しては、上記に加え、英国海軍が測量した水深を加えていること、海峡(瀬戸)地形に英語名称を付与していること(下関海峡:Simonoseki Strait, 豊後水道:Bungo Channel),鳴門海峡:Naruto Passageなど)、瀬戸内海通航の推薦航路を始めて示したこと、何より伊能図利用の第一号海図であるこという特色・意義がある。 最初に瀬戸内海の海図を作製した理由は、英国は中国~日本(江戸湾)の航路開設を急務としたが、ここが古くから航路(朝鮮通信使、北前船など)として利用されてきたからである。この海図および推薦航路の表示により、当時の大型船(長さ16~18フィート)の航海の安全が確保され、英国~日本の通商ルート(江戸湾~瀬戸内海~中国)が開設された。日本の最初の瀬戸内海の海図は1893年刊行であるが、この海図作製に当たって英国海図が大変参考にされた。
星埜由尚(東京地学協会副学長,元国土地理院長) 伊能忠敬の測量とその後の測量:世界や地球をどう測る
伊能忠敬が実測日本図を作成する以前、江戸幕府は、各藩に国絵図の作成を命じ、それらを編集して日本総図を作成した。伊能忠敬の全国測量以前において、最新の日本図は将軍吉宗が数学者建部賢弘に命じて作成した「享保日本図」である。それらは各藩から提供された情報をもとに継ぎ合わせて日本全体が描かれたものであった。そのためつなぎ具合に不具合が生じることを避けられなかった。調整する工夫は凝らされてきたが、伊能測量は日本全体を1つの集団が統一して把握しようとするもので、それまでとは異なるものであった。 伊能忠敬が全国測量を始めた動機は、子午線1度の長さを知りたいということであった。即ち地球の大きさを知りたかったのである。そのために蝦夷地の測量を幕府の許可を得て行ったことが全国測量を遂行することにより実測日本図を作成することにつながった。伊能忠敬の全国測量は、当初は幕府の補助事業であったが、その成果をまとめた東日本の地図ができると、測量の意義が公的に認識され、幕府の直轄事業として行われることになった。幕府の直轄事業へと格上げされたので、江戸幕府による地図整備事業の一環と位置づけすることもできる。 伊能忠敬の測量手法は、斬新な手法が用いられたわけではなく、廻り検地という一般的な測量術(道線法と交会法による初歩的な手法)が用いられていた。強調すべき点は、経度については成功していないが、経緯度測定のために天文測量を導入したこと、測量機器を改良したこと、誤差低減に腐心したことなどがある。成功の原動力となったのは学問への真摯な思いであり、謹厳実直で忍耐力のある測量家としての適性や豊富な人脈、前半生の成功による経済力など諸要因が重なり合って後世に残る業績につながった。 10次にわたる全国測量による成果は、「大日本沿海輿地全図」としてまとめられ、伊能忠敬の没後3年後幕府に提出された。「大日本沿海輿地全図」及びその控図は、その後焼失してしまったが、「伊能図」と総称される大図(縮尺3万6千分1)、中図(縮尺21万6千分1)及び小図(縮尺43万2千分1)の副本、写本などが残っている。 伊能図は、幕府提出後は秘図となり広く利用されることはなかったが、幕末には海防に利用されたほか、「官版実測日本地図」が刊行された。明治時代に入ると、明治政府により我が国の基本図等の整備に利用され、国家測量地図作成機関等において、地形図の整備に伊能図は100年間にわたって利用された。
→ 講演スライド
第二部:地図から広がる世界。マクロな視点・ミクロな視点から 作野裕司(広島大学工学研究科准教授) 宇宙から地球を見る:人工衛星からとらえる地球環境
伊能忠敬らが歩いて日本を測量してから40年以上を経て、世界初の空撮が行われた。それは気球を用いた観測であり、20世紀になって飛行機による観測が導入され、1957年からは人工衛星からの観測が行われるようになった。人工衛星による観測はかれこれ60年の歴史を持つようになった。衛星はいろいろな波長を測定でき、それらを解析することで地球のいろいろな姿を知ることができる。例えば、宇宙から見た陸の環境として、衛星から植物の繁茂具合や地表の温度分布を知ることができる。また、海の環境についても、海の葉緑素や水温、海藻分布などがわかる。葉緑素の分布からは、世界的にみても著しい中国・朝鮮半島沿岸の水質汚濁の現状が一目瞭然である。また、7月に発生した西日本豪雨災害についても衛星画像を用いて、広域の土砂崩れ分布や川から海に至る泥水の流れなどの被害の緊急報告ができた。伊能忠敬の時代から200年たち、宇宙からの測量技術、人工衛星を用いた観測手法やそこから得られる情報の使い方は急速に進化し続けている。 匹田篤(広島大学総合科学研究科准教授) 都市と地図:新しい地図の試みと都市空間の魅力発見
地図が人々の街歩きの回遊性を高める。地図の表現や提供の仕方が、その街を訪れた人たちの街歩きを促し、都市空間の魅力を高めるのではないか。そのような観点から都市と地図について、研究している。ロンドンではオリンピックにあわせ都市の街路空間の整備が行われた。その1つにLegible Londonという、市中心部に統一デザインの地図のサインポストを設置し、道に不慣れな人でも現在位置や目的地までの道程が簡単に分かるようにする施策が行われている。講演ではLegible Londonをはじめ、海外の都市における地図や地図を介した土地の人と来訪者とのコミュニケーションなどを参考に、ロンドンで始まった効果的な地図情報を提供する取り組みを広島で展開できないかと考え調査し、その結果、市電を軸にした広島の都市空間認知にふさわしい地図看板の配置など、今後取り組むべき課題がわかった。街歩きをしたくなる地図、正確な測量に基づく地図作成とは観点の異なる人の心理や行動につながる地図という、伊能図や衛星地図分析とは異なる地図づくりのアプローチがある。 阿部志朗(益田翔陽高校教諭) デジタル伊能図を使ってひらける世界(教育・まちあるき)
高校教員として、教育現場で「デジタル伊能図」を使った授業をしており、その実践報告をもとに、その成果と課題を述べる。発端は、島根県教育委員会の「歴史の道」調査事業の調査委員として近世街道の復元に関わったことであり、その際に伊能図を実際に資料として扱った。しかし、実際に使ってみると問題も多かった。そのような時に「デジタル伊能図」と出会い、その可能性を感じた。具体的に、地理の授業で用いた4つの例を紹介する。1つ目は、「デジタル伊能図」でかつての海岸線を確認し、そこで気をつけるべき自然災害について考えるというもの。2つ目は「新田」の地名を検索し、その場所を地図帳で探してそこの地形や土地利用を考えるというもの。3つ目は学校周辺の伊能図、新旧地形図を生徒に配り、伊能測量隊の歩いた道を探そうという野外実習で、地形と旧街道の関係や、学校周辺の歴史を学ぶというもの。4つ目は「デジタル伊能図」を素材に用いてGISの仕組みを知ろうという作業である。実践を通じて「デジタル伊能図」がアクティブ・ラーニングの教材として有効に使える場面がいくつもあった。また、高校での授業だけではなく、地域のまちあるき活動で使った経験から、「デジタル伊能図」の多彩な可能性を認識した。 |
2.広島大学総合博物館第15回ふむふむギャラリー「地図をつくる 地図からわかる」
日 程:2018年8月21日(火)~9月29日(土)
場 所:広島大学総合博物館本館
主催・共催:広島大学総合博物館・東京地学協会・地理科学学会
協 力:河出書房新社
主な展示物:
1)瀬戸内海・広島周辺を描いた伊能図
2)測量に用いた道具類(量程車,鉄鎖,間縄)
3)デジタル伊能図体験コーナー
4)パネル解説
- 伊能図はどのように作られた?
- 伊能忠敬ゆかりの広島人
- 現代の地図・空間情報を活用した広島大学の研究
- 平成30年7月豪雨に関連する地図・衛星写真等
3.参考資料
- 地図作り 伊能に学ぶ 広島大博物館で企画展 中国新聞 2018年8月30日
- 伊能図への道(上)国土のかたち 中国新聞 2018年9月7日
- 伊能図への道(下)支えた人々 中国新聞 2018年9月8日
- 古地図をテーマ 広島各地で催し 伊能忠敬没後200年 中国新聞 2018年9月8日
- 伊能忠敬没後200年 内弟子の箱田功績をしのぶ 中国新聞 2018年9月17日
- 伊能忠敬没後200年 広島で講演会 地図の奥深さ多角的に迫る 中国新聞 2018年9月21日
*広島大学総合博物館ウェブサイトより
- 講演会
https://home.hiroshima-u.ac.jp/museum/img/event-poster/64-kouenkai-dai.jpg - 企画展
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