Home ニュース 講演会・地学クラブ開催報告 平成29年度春季講演会 開催報告
開催概要:総合テーマ「ネパール-自然の魅力と人々の暮らし-」と題して、長年ネパールの研究に取り組んでこられた方々からネパールの魅力などのお話をうかがった。講演後には熱心な質疑があった。
日時:平成29年6月10日(土)
場所:東京都千代田区二番町2番地 東京グリーンパレス
参加者数:53名
講演内容:

加藤碵一(産業技術総合研究所)

「コンビナートーク」
 ネパールは長く鎖国政策がとられ、明治32年(1899)黄檗宗僧侶の河口慧海がチベットへの途次はじめてネパールを訪問・滞在したにすぎない状況だった。もっとも、ネパール・ヒマラヤなどその存在自体への関心は早くからあり、例えば、福澤諭吉(1869)『世界國盡』に「世界中の高山は印度の「ヒマラヤ」山を第一とす 其高さ三万尺に近し」と紹介されているほどだった。しかし、もっとも新しい造山帯であって多くの地形・地質学研究者の関心を集めたにもかかわらず、その直接的な現地調査は困難だった。戦後、日本人によるネパールの地質調査は、(1)1960-70年代:予察的地形・地質・鉱床等調査、(2)1980年代:個別の地域・主題に関する調査研究・地形面区分・湖成堆積物・活断層・天然ガス・古地磁気層序・テクトニクス概論、(3)1990年代:古環境・テクトニクス、(4)2000年代:古地磁気・活断層・第四紀堆積物(カトマンズ盆地)・古気候、(5)2010年代:地震・震災、と主題を変えつつ活発に実施されてきた。

 本講演会では、こうした調査研究成果を踏まえ、ネパールの魅力を地質・地形,氷河と気候、自然災害さらには人々の暮らしとジオツーリズムといった文化的観点も含めて、各講師にわかりやすく興味深く紹介していただく。




小林裕明(海外在留ネパール人会日本支部)

「なんでネパールなの?」

 1998年の春、私はロータリークラブのネパール小学校建設にかかわる調査団の一員としてはじめてネパールを訪れた。写真撮影を趣味とする私には、学校建設と同時に「写真を撮りたい」という強い思いがあった。今から20年近くも前のこと、私にとってネパールは想像もつかない土地であった。首都カトマンドゥは騒音と埃と人にまみれた驚きの世界だった。まず観光を優先して多くの場所を回ったが、地方には私が過ごした子供時代の日本とあまり変わらない風景があった。

 その後約18年の間に14回の訪問を果たしたが、当初の目的であった「写真撮影」も大きく変化してきた。その間、ネパールでは、内戦があり何度もの政権交代があり、治安の悪い時期もあった。なかでもカトマンドゥ付近で発生した大地震はとくに記憶に新しい。地震の数か月後に現地を訪れた時には、それまでとは違う驚きがあった。




酒井治孝(京都大学)

「ネパールの地形と地質からヒマラヤ山脈の成り立ちを読む」

 8000m級のヒマラヤの高峰14座のうち、ネパールヒマラヤとその周辺には10座が集中しており、正に世界の屋根を成している。これらは1960年代初頭までに全て登頂されてしまった。しかし、ヒマラヤ山脈の形成プロセスとメカニズムは、その後の半世紀に亘る調査・研究の結果、解明されたとは言い難く、現在も営々と研究は続けられている。本講演ではこれまでに分ったヒマラヤ山脈の成り立ちの概要を紹介すると同時に、私達の研究によって新たに判明した変成岩ナップの前進と冷却の歴史を紹介する。

 約5000万年前にインド亜大陸がアジア大陸に衝突したことによって、テチス海が閉鎖したことは広く知られている。アジア大陸の下に沈み込んだインド亜大陸の北縁部は、中圧型の変成作用を受けた(最高温度800℃、圧力13 Kb)後、約2300万年前から1800万年前にかけて急激な上昇をした。そのホット・アイロン効果により、下盤のレッサーヒマラヤ堆積物は逆転変成作用を被ると同時に、減圧と水の添加により変成岩は部分溶融し、優白色の花崗岩を生成した。花崗岩メルトは、変成帯やその上のテチス堆積物に貫入すると同時に、テチス堆積物はデタッチメントに沿って重力的に滑動し、横臥褶曲群を形成した。

 約1500万年前には変成帯は地表に露出し、その表層部は急冷した。しかし、その後も上昇は続き、厚さ10 kmに達する変成帯の内部は350〜400℃の温度を保ちながら、南方に向け3〜4cm/yrの速度で80〜120 km前進し、レッサーヒマラヤ堆積物を覆って巨大なナップを形成した。約1100万年前にはナップの温度は240℃以下に低下し、運動は停止したが、チベットの部分溶融した中部地殻から熱が供給されていたため、徐々に先端から北方に向け冷却した。現在、ヒマラヤの高峰直下の地下の温度は約220℃と推定される。

 約250万年前、プレート境界断層が南方に移動した結果、前縁盆地堆積物とレッサーヒマラヤ堆積物は急激に上昇を開始し、シワリーク丘陵とヒマラヤ前縁山地が形成された。その証拠は前縁山地であるマハバーラト山地の北方で、河川が南北から東西方向に屈曲していることである。マハバーラト山地の背後にあるカトマンズ盆地では、約100万年前以降、前縁山地の急激な隆起により発生した土石流によって河川が堰き止められ、古カトマンズ湖が誕生した。約1.2万年前、湖の堰堤は地震により決壊し、現在のカトマンズ盆地が出現した。




朝日克彦(伊豆半島ジオパーク事務局)

「ネパール・ヒマラヤにおける近年の氷河変動と氷河にまつわる話題」

 地球温暖化が顕在化するにともないヒマラヤの氷河の変化が注目を集めている。ほかの北半球の氷河と異なり気温の高い夏が雨季であり、高山ではこの季節に雪が降り氷河を形成している。したがって気温の上昇は降雪を降雨に代えてしまい、氷河の消耗を促進するだけでなく、氷河の涵養量も減らしてしまうので二重のフィードバックで氷河の縮小が促進されると考えられているからである。

 ヒマラヤ中央部をなすネパール・ヒマラヤのエベレスト山周辺山域において1970年代から継続して9つの小型氷河で末端位置の詳細な測量を行っており、40年ほどの変化を明らかにしている。この結果いずれの氷河も末端後退が継続していることがわかった。あわせて空中写真の判読も行い、ネパール東部の氷河について1992年までの34年間の末端変化を明らかにしたところ、6 割の氷河が後退していた。このように,近年のネパール・ヒマラヤの氷河の変動はおおむね後退が卓越する傾向にあることがわかった。

 こうした氷河の変動は地域にどのような影響を及ぼすだろうか。アジアの大河川の多くはヒマラヤを源流としており,氷河の縮小,消滅によって水資源の枯渇が危惧されている。氷河の融解水を灌漑に利用するとされている高所の暮らしにも影響があるかもしれない。またネパールは氷河がツーリズムのデスティネーションとなっており,入れ込み観光客数にも変化が生じるかもしれない。そうしたさまざまな影響、危惧について安易なステレオタイプによらずフィールドでの観察から調査した。




プラダン・オム(応用地質株式会社)

「2015年ネパール・ゴルカ地震による被害と復興の現状」

 2015年4月25日にネパールの首都カトマンズの北西約77 km のゴルカ郡バルパク村付近を震央とする震源深さ約15km、マグニチュード(MW)7.8の地震が発生した。本震に続き多数の余震が発生し、5月12日にはカトマンズ東方約75kmのドラカ郡でMW7.3の最大余震が発生した。本震および余震により約9,000人の死者を含めた甚大な被害が生じた。地震による被害状況を把握するために、2015年7月に現地調査を実施した。調査範囲は建物被害が集中したカトマンズ盆地とその東側の斜面崩壊が多く発生した地域である。その後、カトマンズ盆地の復興状況について定期的に調査を行った。

 この地震による建物被害の多くは石や日干しレンガ(アドベ)を積み上げた組積造建物であった。鉄筋コンクリート造建物(床や柱が鉄筋コンクリート、壁はレンガ)の被害は比較的少なかった。カトマンズ市内における建物被害が比較的少なかった原因は鉄筋コンクリート造建物が周辺地域より比較的多くあるためと考えられる。ただ、鉄筋コンクリート造建物についてもチャウタラ周辺傾斜地の建物やカトマンズ盆地の北部の平坦地において一部の地域で被害がみられた。傾斜地建物の被害は、地震動の入射角度や建物のアンバランスが原因と考えられる。また、平坦地の一部の地域で鉄筋コンクリート造建物の被害の原因は、表層地盤の震動特性と鉄筋コンクリート造建物の周期特性との関連、地形の影響、建物の構造的要因の影響と考えられる。

 地震による斜面崩壊については、バイシャリ村付近のカリ・ガンダキ川左岸で大規模な深層崩壊が起きたが、小規模な崩壊が数多くあった。斜面崩壊の多くは流れ盤の片理面に沿った崩壊であるが、一部は受け盤の崩壊もみられた。また、メラムチ付近では段丘堆積物の巨礫の崩壊がみられた。多くの斜面崩壊が発生した大きな原因はレッサーヒマラヤ・メタ堆積岩類の脆弱な地質と地質性状に応じた斜面対策が不十分であるためと考えられる。